虹色の毎日を求めた猫の物語

平凡な日常時々FX

2018.07.23 『天は人の上に人を造らず』とは言うけれど

こんにちは。相変わらず毎日暑いですね。僕はできるだけ外に出ないようにしているのですが、それはそれで体が弱りそうで困ったものですね……

 

 

さて、今朝起きて、ふと思ったことがあります。僕の上にはたくさんの人がいるなぁと。いちばん身近なところで言うならば、両親が私の上にいます。さらに言うなら、立場的には私より弟の方が上だと感じることも多々あります。

 

 

しかし僕としては、自分の上に人がいるというのは幸せなことなのではないかと、常日頃から思っています。上がいれば、それを見て進むことができます。それは、とても幸せなことではないでしょうか。

 

 

例えば

 

例えば先生。先生というのは、僕にとっては絶対的な『上』の存在です。しかし、上の存在だからといってそれに潰されるとか、屈服するとか、そういうことではないと思います。

 

 

先生というのは僕たちを導いてくれる存在です。時として、導いてはくれないような人もいるかもしれませんが、基本的に先生というものは導いてくれる存在だと僕は思います。

 

 

例えば同級生のとても良く勉強ができる、運動ができる、なにか秀でた才能がある子。どう感じるかは人それぞれだと思いますが、僕にとっては『上』の存在です。しかしこれもまた、潰されるなどとは思わないのです。

 

 

秀でた才能に関して、自分もやっているとするならば、教えてもらえばいい。教えてもらうのが難しければ良く見て真似をするのもひとつの手です。上の存在から学ぶことができるのは、素晴らしいことです。

 

 

『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』、本来の意味は?

 

『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』、これの本来の意味は、『生まれた時は平等でも、学問をしたかしなかったかで上下が決まる』というような意味なのだそうです。つまり、僕が「上がたくさんいる」と思うのは当たり前のことなんですよね。僕の上にいるのは、僕より長く生きている人や、僕より努力をした人に違いないのですから。

 

 

では、本当に人の上に人は造られないのでしょうか?

それは微妙なところだと思います。僕は障害を持っているかもしれないというだけで、人の下に造られたような気持ちになることがあります。障害を持っていることで反対に人より秀でていることがないというわけではないのですが、やはり人より生きづらいと言うだけでも下に造られたような気がするのです。

 

 

下に造られたからといって、諦めた人生を送る気は今のところありません。諦めるくらいなら死ぬつもりでいますが、まだ死ぬには少し早いと考えられるようになってきました。そういう意味では、やはり天は人の上に人を造らなかったのかもしれませんね。

 

 

言いたいことがよくわからなくなってしまいましたが、天が人の上に人を造ったとしても、それは幸せなことなのかもしれないということを僕は思っています。自分の上に人がいるのは幸せなことで、楽しいことです。そう思って生きる毎日は、少し変わって見えるかもしれません。

 

 

それでは今日はこのあたりで。